山崎はるかのメモ


出張記 さんふらわあ・くろしお編

船旅(1) 高知

※このコンテンツは「山崎はるかの ひみちゅ」 No.7から移転したものです

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役員のお仕事

 役員(取締役)の仕事というのは、実際には とてもシンプルなものである。
会社が「何を買うか」「何を売るか」「何を取るか」「何を捨てるか」の、合計 4つの判断を、ハンコで表現する。これが、取締役の仕事である。
慣れれば 誰でもできると思う。
ただし 量がヤマのようにある
しかも、うっかり押した ハンコひとつ・サインひとつで、会社の命運が尽きることもある。
場合によっては 容易に再起できず、ときに生命さえ失うこともある。
 スリル満点である。
なのに、ゆっくり見ているヒマはない。メールと同じで、後回しにすると どんどんたまってしまう。 

だから、何の判断をするにも、日ごろから まず現場に立つことである。
これが いちばん早い。
現場を見なきゃ、本当のことは 何もわからん。

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 現場といえば、ダイアモンドアプリコットも発祥は高知である。
いまでも 高知には、全額出資子会社がひとつ・系列会社がひとつ、それぞれある。
当然 私も 高知県の出身である。
だから、最低でも 年に1回(決算期)は、高知に行かねばならない。
これに企画会議が加わると その数だけ増える。

今回は 系列会社のひとつ、ビジネスソフト販社&CG開発会社「トサナビ」で、現在 テスト企画でリリースしているビジネスソフト「とりあえずシリーズ」を、戦略商品として正規投入するか。
その判断・折衝会議のために、高知に向かうことになった。


今回、ついでだから この出張を フォトレポートで書くことにしよう。

出張を うまく使って休暇する

なんかしらんが 川柳になってる↑

それはともかく、出張時に航空機を使うと、かえってバタバタするのは、すでにこっちで書いたとおりである。

今回は、「開発戦略」が議題であるから、時間を いくらでもかけさせる種類の会議である。
会議期日が どれだけ長期化するか、メドすらたっていない。
あくまで 私は結論が出るのを、会長としてサポートする立場だ。
トサナビは子会社ではなく、資本関係のない系列企業である。(書類上は技術提携会社となっている)
そのため、最終決定を 私が判断するのではなく、現場に どうするか決めさせることになる。

さて、いつまでも 待たねばならぬのなら、休暇も兼ねた方が得策だ。
あまり知られてないが、高知は、日本国内でも第一級の休暇地である。
(これについては 後で述べる)

現地では スタッフの誰かがクルマで送迎してくれるだろうが、気を使いっぱなしというのもなんだか、である。
今回は ミドルスクーターを使って フェリーで行くことにした。

高知県とは

四国の南・太平洋岸に位置する。
とにかく、陽射しが強い県だ。
半ば 亜熱帯性かもしれない。
(雨そのものが 東京とツブの大きさが違う)

高知の「夏の朝」は、特にすがすがしい。
高知では 夜明け直前に にわか雨が降ることがよくある。
このため、高知の人は 朝陽のさす、ぬれた路面を 青空の下、学校に向かった記憶を持つ人も多い。

名物は「よさこい祭り」「日曜市」「坂本龍馬」
言葉(方言)の特性はここ

アクセスは 主に空路が便利。(主な大都市からは かならず高知との航空路がある)
陸路は 瀬戸大橋・明石海峡大橋を経由する。
海路は、東京から「さんふらわあ」、大阪から「大阪高知特急フェリー」が出ている。
※「さんふらわあ・くろしお」は、平成13年9月末で航路廃止になる予定。

 

SUZIKI ADDRESS110
DA電研 唯一の「社有二輪車」
DAグループでは スタッフの多くが自動二輪免許を持っているため、スクーターといえども原付二種である。

最高速 90kmぐらい。113cc・10ps/6,000rpm。
とにかく軽い!速い!停まる!
このシリーズには「通勤マメ特急」というニックネームがついているが、ホントに よぉ走るわ。
軽量・俊敏さによる高機動性により、街中で70km巡航(!)が達成できる。
都内なら 私のGSX-R250Rより、実質的に速い。
高速域も 環七・環八 専用セッティングってカンジ。

何よりメットインってホント便利。

 

さんふらわあ くろしお

東京から、海路で高知に向かうには、東京FT(フェリーターミナル)から出ている「さんふらわあ くろしお」が便利である。

東京FTに停泊する「さんふらわあ くろしお」

東京19:50発→翌朝8:05着 那智勝浦 8:35発→16:20着 高知
高知20:00発→翌朝3:00着 那智勝浦 3:20発→16:00着 東京

■総トン数 9,700トン
■全長 160.0m
■幅 25.0m
■航海速力 22.7ノット

《乗船・出航》

現在、東京FT(フェリーターミナル)の乗船手続きは、あたらしいビル1ヶ所に集約されており、とても便利。

7月上旬 まだ夕方の薄明が残る中、PM7:50 出航。

バイクは車両甲板の先頭に、船員さんが上手に縛り付けてくれる。

以前の「さんふらわあ とさ」と異なり、この「さんふらわあ くろしお」は、一般車両デッキが、トラックデッキと同一か、さらに上のアッパーデッキにある。
トラックデッキの下に 一般車両が来ることはない。

そのため、車両甲板に開放感が あり、たいへんよろしい。

エントランスで部屋のカギをもらい、荷物を置いたあと、アッパーデッキ(上部甲板)に出てみた。
信じられないことに すでに出航していた。静かで 気がつかなかった。
風が 強いが、初夏の夜には 爽々しい。

ついでに携帯電話の入感状況を調べようとしたが、完全に不通。横浜の街が すぐそこに見えてるのになぜ?

《リーズナブルで寝心地のよい1等B船室》

「さんふらわあ くろしお」では、1等B船室(くろしお割引\18,400)が 私のお気に入りである。
 1等B船室は建前上、4人相部屋ということになってはいるが、前日くらいに予約を入れておけば、事実上の個室状態になることが多い。
 また、女の子だと、基本的に個室状態になる。
係員によると
「1等B船室から カギつきの部屋になりますので、女性の人気が高いです」
とのこと。

寝台以上の各部屋には、個別の照明などに、かならずAC100VコンセントがあるのでノートPC等の電源に困ることはない。

このあたりで、眠くて、まっすぐ座れない状態になった。
晩ごはんの船内案内もあったが、ひとねむりすることにした。
それにしても、この日は 朝から出張以外の「仕事」が たて込んでて、かなり疲れた。



《さんふらわあ 高知航路のカンタンな歴史》 - かなりマニアックだから 読み飛ばしていいぞ -

《初代・「さんふらわあ」「さんふらわあ2」》 
昭和47年2月に日本高速フェリー「さんふらわあ」が 名古屋〜高知〜鹿児島航路に就航。
同年5月に「さんふらわあ2」が就航して、1航路2隻・毎日運行。
11,000トンの大型カーフェリーで、就航当時 そのあまりのデカさに、高知港および浦戸湾で自力転舵できず、高知港出航から湾外に出るまで タグボートのお世話に なりっぱなしだった。
しかし 格納式フィンスタビライザー(水中安定翼)とバウスラスターを装備・国内最大・最高速(当時)の豪華最新鋭ライナーフェリーとして 華々しいデビューを 飾っていた。

 だが、流転の人生を送る。2隻とも、後に、大阪・神戸〜別府航路に移籍。その際大洋フェリー(後の名門大洋フェリー)に売船され、その後 さらに関西汽船に譲渡交換される。何回かの改装を経て、現在は引退している。(なんと引退後の写真が がんばれ!フェリー の「ギャラリーのページ」にある!)


《追加投入・「さんふらわあ5(おおさか)」「さんふらわあ8(とさ)」》
昭和48年3月「さんふらわあ5」が 東京〜高知航路として就航。
同年7月に「さんふらわあ8」が就航して、寄港先に那智勝浦が加わり、東京〜那智勝浦〜高知航路になった。1航路2隻・毎日運行。
両船ともに、全長185m・排水量13,000トンという、超!大型カーフェリー。もはや大戦中の中型空母なみである。

このとき、高知港には1日3船・交互に4種類の「さんふらわあ」が 入港していたことになる。
華やかりし フェリー全盛時代。
だが、これは 突発的な事件により、暗転する。

昭和49年のオイルショックにより、国内の物流・流通は大打撃を受ける。
昭和51年12月・そのあおりをモロにくらって、名古屋〜高知〜鹿児島航路に就航していた「さんふらわあ」「さんふらわあ2」の2船は瀬戸内海航路に移籍(転配)。
名古屋〜高知〜鹿児島航路には、「さんふらわあ5」が入り この航路は これ1隻のみとなる。その結果 2日に1便の運行となる。
東京〜那智勝浦〜高知航路は「さんふらわあ8」だけが残り、同じく2日に1便の運行。

昭和53年4月・名古屋〜高知〜鹿児島航路休止(翌年廃止)、「さんふらわあ5」は大阪〜志布志〜鹿児島航路に転配する。
これにより 高知から名古屋・鹿児島へのフェリー航路が 消える。
のちに「さんふらわあ5」は「さんふらわあ おおさか」に船名変更されるのだが、平成5年8月に海外に売船。
現在、フィリピンのマニラ〜セブ航路を「SuperFerry10」という名称で運行している。
高知発着としては5年働いた船である。

-

平成2年1月・航路の経営権が 日本高速フェリー → 日本沿海フェリー(現社名ブルーハイウェイライン)に移った。
同年11月 社名変更と共に、「さんふらわあ8」も、船名を「さんふらわあ とさ」に変更した。
私も学生時代には 本当に お世話になった。

 この「さんふらわあ8(とさ)」も、平成9年7月「さんふらわあ くろしお」就航で引退し、海外売船された。
高知発着の「さんふらわあ」としては 最も長く25年。
 現在この船は、フィリピンのマニラ〜セブ航路をPRINCESS OF NEW UNITYという名称で 第二の人生を歩んでいる。


《現行 最終型・「さんふらわあ くろしお」》 
平成9年7月、東京〜那智勝浦〜高知航路に25年ぶりの新造船「さんふらわあ くろしお」が就航。
和風カジュアルフェリーとして、寝台やツインルームが充実。(残念ながらシングルルームの設定はない)
全長160m・排水量9,700トン。 サイズがひとつ 小ぶりになったが、デッキのレイアウトが工夫・洗練されており、むしろ「広くなった」という印象が強い。
この船で 煙突が「2本」になった。

フジテレビ「浅見光彦シリーズ(8)平家伝説殺人事件」で舞台となった さんふらわあ は、この船。

で!
最近 船といえば よく聞かれるのが「タイタニックはできるか?」である。
つまり 船首の先端に立って、両手を広げる アレである。

...結論から言うと、「できない」。
というか、国内の一般客船・フェリーにおいて、船首先端に行ける船って そうあるもんじゃないだろう。
船乗りなら 誰でも知っているが、船首というのは、ただでさえ波をかぶるところで、たいへん危険な場所である。
本家「タイタニック」ですらも、実際は 思いっきり波を巻き上げてたそうだ。
映画のようなことをしたら、「海水でびしょびしょ」になっただろう。
あたらしい愛のカタチかもしれんが、私はゴメンだ。
ええ、そうとも ロマンのないヤツですよ あたしゃ。


2日目

深夜に何度か起きて、携帯電話の入感状況をチェック。
船内TVでは、GPS情報(位置や速度)が表示されている。
時刻以外に 到達度がわかる・・・というのは 船旅では かなり精神的にうれしい。

《やっぱ船上で迎える朝は いいねー》

「レストラン開店」の船内放送で目覚めた。
外に出ると、どっちを見ても、海・海・海。

そこにぽっかり あがる太陽。
おだやかな潮風!ほんとうの水平線!

いやー、若い頃は、
『船旅ってトロくせー!イライラするー!』
と思ってた。
だけど、社会人になると、この「のんびり時間」が とても貴重に感じられるんだなぁ。

船旅の 真のぜいたくさは「時間が おもう存分 使えること」なんだと思う。
家でゴロゴロするよりも、船旅のほうが「時間のぜいたく感」があるんだな。

 
《 レストラン 》

船内レストランは、基本的にバイキング。食券を レストラン通路の自動販売機で買う。
朝\1,000・昼夕\1,600 
(特定の条件が整うと レストランが個別メニューになることもあるらしい)

バイキングメニューのため、外見は 陸のレストランより見劣りするかもしれないが、食べてみると なかなか おいしい。
それぞれ いい素材を使っている。
値段なりのことはある。

 

《 展望風呂 》

ごはんを いただいた後は、お風呂もいただくことに。
特等室・1等A船室には シャワールームもあるが、日本人だから やはり湯船に じっくり つかりたい。
(もちろん サウナもある)
なお あんまり早く入ったもんだから、湯船のお湯が まだ たまってなかった(笑) ※右下写真
《 ラウンジ 》
レストラン兼用のラウンジ・テーブル。
風呂あがりの コーラって イケるねー

 

《 那智勝浦 寄港 》

 

《 のんびり 》
那智勝浦・出航から高知到着まで、約8時間。
ダイエットなど どこ吹く風ってカンジで お昼ゴハン。

ついでに、洋上から スタッフや友人にデジカメ画像をメールで送信。
レスが「どこにいるんだよ!?」という一様なリアクションに笑えた。

食事後、甲板で日光浴。

うとうとしてたら、ついに 高知県室戸岬が見えてきた。

 

《 高知港 到着 》
午後3:30 観光名所のひとつ「桂浜(かつらはま)」が見えてきた。
まもなく入港・接岸である。

約20時間の船旅であったが、充分に英気を養えた。
海上も ほとんど「ベタ凪(なぎ)」で、ゆれも全くなかった。

今回の出張目的である 戦略会議は 翌日からだが、体調は万全。
持久戦も がんばれそうである。
到着

 

この航路なんだが

商船三井系・ブルーハイウェイラインが運営するこの航路。
残念なことに 平成13年9月末で この航路は無くなるとのこと。
最終日には、たぶん さよならイベントがあるはずだから、その日に また乗ろう...と思ったら!
平成13年9月30日出航分は「さよなら記念乗船客」で超!満船。
ざんねん 予約できなかった。

-

さて。
私は学生時代から数えると、10年以上、この航路のお世話になっている。
航路廃止については、非常に残念だが、一方で なんとなく原因はわかる。

これから述べることは 高知の人は気がつくはずもないんだけど...
日本高速フェリーから、現在のブルーハイウェイラインに 航路が売却される前後の約3年間にわたって「東京側の受付スタッフ」の態度が 最悪だった時代があるのだ。

もちろん10年ちかく前のことだが、どういうものだったか 一例をあげると、

これだけでも 充分だろう。
これで乗船客が減らないほうが不思議だ。

慣れない・知らない人が いきなりこういう態度に出くわしたら、誰でも激怒する。
家族連れや個人の観光客が「二度と使わない!」と、旧レストラン内で悪態をついていたのをよく耳にした。
船内サービスはけっして悪くないのに、かんじんの「受付」が最悪だったのである。


いまは 相当に改善されている。
むしろ フェリーと その窓口としては、かなり上級のサービス体制といってもよい。

 しかし 一度ついた悪評は、そうそう払拭できるものではない。
ブルーハイウェイラインは、新造船「さんふらわあ くろしお」を就航させたときスタッフも一新しましたと広告するべきであった。
事実 スタッフは一新されていたのだし、そればかりか 船内の接客態度も、1ランク アップした。
厳しい接客教育があることも うかがえる。
だが観光客が なぜ あえて「さんふらわあを避けているか」という事実に 思い至ることはなかったにちがいない。
役員の誰かが、昔に戻って、自社のフェリーに 受付レベルから乗船するなんて あり得ないからだ。
きっと経営陣は 乗船客の減少を、別の原因として捉えていただろう。
そして 航路廃止にいたった現段階においても、この原因に行き着くことはあるまい。

私も経営者として、背筋が凍る。
同じ立場なら、私も気がつかない。

-

それにしても 最近、「国内観光」の意味合いが かわりつつあることを、海運・航空各社は 気がついているだろうか。
私は、私の この外見からか、観光客に よく話しかけられるのだが、その人たちを案内するかわりに 作家魂で逆インタビューしてみると、こういう答えが多い。
「いやじつは 以前 一度 そこに行ったことがあるんですよ。ただ、そのとき、道端で見た お地蔵様が 今でも そこにいるのかなと思って...」
あるいは
「20年前・出張で見た あの街の あの橋のたもとの あの木が忘れられない。...バカに見えるかもしれないけど、あの木は いまでも あそこに立っているのか、それが気になって」

つまり 自分の記憶の中に観光地を持ち、何年もかけて自分のこころに観光開発してるのだ。
いま そういう人が増えているのだ。
これは たいへん 素晴らしいことである。

一方で、インスタントな観光開発(→デリカシーのない観光企画)や「セット価格の包括料金・激安温泉旅行」ばかりが、いまだに旅行代理店には あふれている。

いろいろ事情は あるんだろうが、そういう「脳みそのない発想」ばかりやってると、そのうち 足元から崩れ去るのは 明らかである。
しかも、かわいそうなのは、利用された「観光地」である。そして、そこに住む人たちである。
潮が引いたとき、彼らは どうなるのだろう。

 2001/09/19 DA電話研究所・山崎はるか

・改訂記録
2005/11/07 山崎はるかのメモより移転

※文中に出てくる地図のうち、二点をIncrement P MapFan から引用

※さんふらわあ・くろしおは、現在「Panstar Dream」として 大阪-釜山航路で第二の人生を活躍中です。(パンスターフェリー


※このコンテンツは「山崎はるかの ひみちゅ」 No.7から移転したものです

Diamond Apricot - TOKYO.SRS

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