フジテレビ 2000年10月14日(土曜日)
27:55〜 (1時間番組)
※関東地区
シリーズ5作目・ついに完結!
おしらせ
このページでは 番組終了後も、定期的に未公開映像ファイル(MPEG1・RA)などを提供する予定です。
どうぞ、おたのしみに。
シリーズ全体像
1作目...FNNスーパーニュース「電話ストーカーを追え」(1998年9月)15分
↓
2作目...FNNスーパーニュース「ストーカーバスター」(1999年5月)15分
3作目...NONFIX「ストーカーバスター 完全版」(1999年5月)60分
↓
4作目...ザノンフィクション「ストーカー被害の女達」(1999年10月)60分
↓
5作目...完結編・NONFIX「ストーカーバスター 2」(2000年10月)60分
最初から深夜ドキュメントを前提とした収録というのは、私(山崎)にとって
いろんな抵抗がありました。 |
ただ、番組制作においては、いくつか問題がありました。 これまでのシリーズと異なり、収録時点で 私は ひとりでは ありませんでした。 ストーカー問題審議委員会。 激増するストーカー問題・その対策活動において、私の活動は組織化されていました。 固い守秘義務が存在する組織内に、外部の取材を 受け入れることは ストーカー・被害者 双方に対する 重大な信義問題となります。 これを解決したのが、相澤聡一プロデューサーでした。 彼らは、会員として対策出動に出ることを決意。 正会員として、取材ぬきに、カメラもテープレコーダーも持たず、審議委員会のボランティア活動に積極的に参加しました。 これは 後に、ひとりのストーカーを救うきっかけとなります。 また、ストーカー問題審議委員会の所有する、莫大なVTR資料を番組内で使用するため、その査定(準検閲)権限をストーカー問題審議委員会に持たせるなど、局との折衝を数え切れぬほどもち、番組完成に大きく進みました。 |
|
私自身も、始終おだやかだったわけではありません。 取材期間中、取材クルーの中から 負傷者のべ4名・救急車搬送1名が出ています。 「そうまでして取材をさせてよいのか?」「私が止めなければいけないのではないか?」 と 私は いつも悩んでいました。 収録期間5年・制作期間1年・「ストーカーバスター2」 この完成試写をみたとき、その舞台裏で負傷や苦労を重ねたスタッフは、どこにも映っていませんでした。 竹内ディレクターに問い合わせたところ 「そんなものより、視聴者に見せなければならない映像が たくさんあるんです!」 と。 私は、敬服を超えて「畏怖の念」を 彼らに いだかずには いられませんでした。 彼らの中には、次回作はもちろん次の番組に対する布石もなく、ただ「最高の作品を作りたい!」という、作り手としてのプライドしかありませんでした。 彼らの番組作りにかける執念は、シリーズ完結編にふさわしい 最高のものでした。 深夜番組であり、見る人は特に限られたものです。 多くの人が、偶然 その時間帯まで起きてて、偶然チャンネルを変えて 出逢えた番組のはずです。 しかし、見た人が「運が良かった!」と思える作品であることに いつわりありません。 私も このシリーズの主人公として登場できたことを、いつまでも忘れることはありません。 (山崎はるか) |
番組に対する感想・お問い合わせ
〒137-8088 東京都港区台場二丁目4番8号
フジテレビ 「NONFIX・ストーカーバスター」係
TEL 03(5500)8888 (大代表)
再放送リクエスト
※参考・前回はこの再放送リクエストによりCS・ローカルを含む4回の再放送が実現しました。
再放送をリクエストをする
←こちらをクリック
再放送が決定した場合は、トップページやこのページで
おしらせします
各ページへのリンク
番組中に登場するストーカー対策ボランティア組織。 |
||
山崎はるかの公式サイト |
||
※番組放送当日、上記2つは たいへん混雑いたします。なかなか表示されない場合はブックマークしておき、日を変えてアクセスしてください。 | ||
オフィシャル |
ストーカーバスター |
シリーズ2作目・3作目のページ |
ストーカー被害の女達 | シリーズ4作目のページ | |
フジテレビ 公式ページ |
「ストーカーバスター(1999.5.19 放送)」 |
フジテレビ広報 |
NONFIX |
番組枠オフィシャルサイト |