DiamondApricot 徒然はるさん

はずかしい・私

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「人の不幸ほど おもしろいことはない」

この言葉に、抵抗を持つ人は 私を含めて少なくないと思う。

私はそうじゃないのに、と否定したくなる。

この言葉は 人間の核心を反応させる。

 

ところで 先日、私は えらいはずかしいことをしてしまった。長距離ドライブの帰りで 何を油断したか、ドライブスルーの「ロッテリア」において「マックシェイクください!」と やらかしてしまったからである。

マイクの向こうの お姉さんが「ロッテシェーキ おひとつですね?」と のたまう声は、その後 数日間にわたって 私を苦しめた。この数年間で もっとも不幸な出来事であったことには ちがいない。

ところが、この話を 先日 スタッフに話したら 大爆笑されてしまった。私は オオマジメに ロッテリアのカンバンの不備を説いていたのだが、おもしろいか!よかったなぁ、そりゃ!!

 

先の言葉「人の不幸ほどおもしろい」は そのまま捉えると反感を買うが、こう言いかえるとどうだろう。

「どうしようもない失敗を その本人が 必死に言うことほど 他人が笑えることはない」

 

それは ともかく 自分の失敗を あけっぴろげに しゃべってるヤツを見るのは気持ちがいい。バイクやクルマで事故っても(それが たとえ脱輪でも)堂々と話せば 笑いもとれるし、それはそれで独特の連帯感を共有できるものらしい。

 

一方「自分の失敗を隠そうとするヤツ」に「自分の長所のアピール」を加えるヤツ。彼らは 真の意味で「恥ずかしいことの基準」を勘違いしているのではなかろうか。

 

あたりまえのことだが 自分のはずかしいことを積極的にぶちまける人(もちろんTPOを考えてのことだが)は 好感度を上げる。お笑いの基本であり、タレントの世界だけでなく、多くの企業が「自分の失敗を前面に打ち出して」利潤を上げている。

はずかしいことを 積極的に挑戦・発表し「失敗から学びました」という姿勢。世の中 儲けようと思ったら、積極的に はずかしい ことをしなければならないのである。 そして「はずかしいけど作ってみました」という姿勢の商品は、おおむね誠実である。

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ものばかりでなく、人生そのものが ただでさえ「恥ずかしい」。言い換えれば「恥をかくために人は生まれてきた」とも言えるのだから、その恥を隠そうとする 果てしないエネルギーの浪費は、いつまでも その人の人生に重荷になり続けることになる。

どうして そのエネルギーを、「表明する」エネルギーに転換できないのだろうか。多くの著名な人物が「自分のハジを積極的に発表することによって著名になった」ということを いま一度考えたい。

 

また、年齢を重ねる毎に、徐々に 人間は おもしろみが欠けてくるが、その理由のひとつは おそらく「人間が完成されてきて 失敗が減ってくる」ことによるものだと思われる。失敗談を心に持たない人は、人間の深みが そこで凍結するのだろう。なら、どうするか。

そのとおり。趣味でも仕事でも なんでもいい。人生に失敗がなくなってきたら、より失敗しそうな(より困難な)ことに、あたらしくチャレンジするのである。そうすることで また 新たな失敗談が 自分に生まれる。

そこで その失敗ネタで 人を笑わせよう。人が 大笑いしている最中に、自分は静かに伸びるだろう。そして人間の深みもまた グンと 掘り下げられるのである。うれしいことに そうすれば、その失敗を越えた結果には 人からの好感という おまけが付いてくるのである。


「徒然はるさん」