mixiの退潮傾向に想う事(2)

私たちは なぜmixiを選んだか

△メモエリアにもどる

このエントリーをはてなブックマークに追加
Yahoo! bookmark
Check

2

(続き)

mixiの退潮傾向に想う事 - 2

 mixiの退潮傾向について、いい言葉を選べば「mixiは軟着陸を模索している」といえなくもない。
でも、常識的には、mixiは舵取りを失敗した と思っている人のほうが多いんじゃないかな。

 ただ、そうだったとしてもね。
他者の失敗というのは、非難するのではなく、学ぶことが大切。それしかない。
他人のなにかを否定することでしか、自分を際立たせることができない人間にはなりたくない。
 むしろ、だれかの何かを肯定することによって、離れた場所にいる人の感覚と知識を共有するほうを、僕は大切にしたい。


■ 企業は感覚器官を持たなければならない
 mixiは、ユーザーひとりひとりが それぞれに 工夫して 努力してmixiを使っている。だが、そのことにmixiの経営陣は気づいていないし、また そのことに気づくための感覚器官を組織として持っていない。
 上場企業の場合、最大の感覚器官は「広報」である。
かつて企業の広報は宣伝のために存在したが、IT時代のいまは顧客の感想や意見を受け止め、それの切り返し方で顧客のこころをわしづかみにする営業部隊である。
 その広報が↓こういう 慇懃無礼というか木で鼻をくくった答えをしている。
http://getnews.jp/archives/136071

これは、広報が 感覚器官ではなく「苦情を遮断する」麻酔装置として機能していることをあらわしている。

そして その一方で、
代表取締役社長は↓このようなリリースを表明した。
http://pr.mixi.co.jp/2011/08/30/mixiservice.html

ユーザー第一主義といいながら、「ユーザーの工夫が 新デザインによって損なわれたり」「新しい機能によって台無しにされたり」という現実が 経営者に伝わっていない・理解されていないことがわかる。
 客観的にみて、典型的な「感覚器官の欠落」である。
そうなった理由は次項で述べるとして、これはソーシャルサービスを行う上で陥りがちな根の深い問題であるから、まことに学ぶことが多い。



■ 経営資源の集中投下という「考え方」の失敗
 2005年1月にはじめた mixiプレミアムが いまいちふるわなかったことは、経営マインドを決定付ける出来事だったろう。
「サービスはタダで使わせろ!ビジネスモデルはおまえが考えろ!」
という身勝手な集団。
経営陣には、会員がそのように見えたにちがいない。クチには出さなかっただろうけど。
 だけど mixiに限らず、SNSなどソーシャルネットワークサービスは そもそもビジネスモデルとしては不完全なのである。
人と人の間柄という、そもそもユーザーが独占的に持っている権利を、それに気がつかせてやったからカネをくれというのは、ムリがあるのだ。
 昔の紙芝居のように、エンターテイメントそのものではなく 駄菓子のほうで集金するシステムを構築する必要があった。
そのために mixiアプリ、年賀状、そして広告と、BtoB(企業と企業の商売)にいったん軸足を移し、そこで基盤を確立してから、再度 BtoC(会員からの収益)をテコ入れする、という戦略をとったように見える。

 だが、かねて述べているように、mixiの人気は「お祭り」によるものだ。
経営資源の集中投下で「神社の境内をリニューアルしました」「みこしが豪華になりました」などとして、いったい どれだけの効果があるのだろう。
むしろ、経営資源の移動で 捨て置かれ・犠牲になった「日記」や「コミュニティ」は、衰退の一途をたどった。
人がいなくなりはじめたお祭りで、残った金魚や パック詰めの冷えたやきそば、歯抜けに並ぶおめんの状態である。

 お祭りは熱気がある間は、けっして資源を移動してはならない。
ディズニーランドのように、歩く先々に いち早く先回りする分散投資がエンターテイメントサービスの鉄則である。
mixiは、それを再認識させてくれた。


■ インフラという誤解
mixiの経営陣は、mixiをインフラにしようと思っていた時期がある。
いやいまでも思っているフシがある。

 インフラというのは社会基盤のことであるが
「バーチャルの世界だけで インフラを構築する意義」
というのは、いったいどれだけあるというのか。
 なんのかんのといっても、mixiは、仮想空間である。バーチャルコミュニケーションである。

 インフラというのは、ユーザーの生身に直結した現実空間において必要なものであって、だからこそ代替が効かないものである。
対して、バーチャル空間というのは ユーザーに選択の機会があり、容易に代替ができるのだし、なくても生きていけるのだから、その世界に社会基盤を作ったところで、それそのものが「仮想」という あるんだか・ないんだか あやふやなものである。
 もちろん mixi の経営陣にとっては、自身は、現実に「東京都渋谷区に存在し」そのサービスを支えるネットワークは、データセンターに物理的に存在するから、それをインフラとして本気で作ろうと思ったにちがいない。
だが、経営陣に見えているそのサーバー群は、ユーザーにとっては どこかにぼんやり存在する「仮想でしか使えない世界」である。
 この認識の違いからくる、大誤解は おそろしいと思う。
自分たちに必要な それは、その組織以外の第三者にとって必要なのか?という問いを たえず繰り返す企業風土がなければ、こういった勘違いは容易に生じる。しかも組織的なレベルで。



---
 もう時効だから言ってもいいと思うけど。
 あるソフトバンク系列の会社の会議において、
「孫さんの自宅の電話は SBテレコムのおとくラインなんでしょうね?まさかNTTじゃないでしょうな!」
と意見を述べた人がいた。
だが役員らは、みな、おそろしくて誰も調べようとはしなかった。

 mixiのつぶやきは、1ヶ月で消える。メモにもならん。
自分が使う前提で作ったなら、ああいう仕様にはならんと思う。
果たして mixiの社長や役員は、mixiのつぶやきを使っているのだろうか。


 繰り返しになるが、mixiには 感覚器官がない。
感覚器官がない以上、今後もユーザーを激怒させることが多発するだろう。
組織というのは みずから変えようと思うことがない限り、なかなか変わらないものだ、
ということを ちいさいながらも経営者として僕は知っている。
感覚器官がない組織を相手に、苦情や署名活動をすることの無意味さも僕は知っている。

 だから僕は みずからを変えることを選んだ。
僕のマイミクシィには、亡くなったままアカウントが放置されている人が三人もいる。
 中には遺族が全員亡くなって、法的な訴求手段を完全に失った故人もいる。
この三人は、いまだ、どうあっても退会することができない。mixiにお願いしたが、返事はなしのつぶてだからだ。
 だから、日記やアルバムを きれいなまま遺しておこうと、バックアップツールを作った。

撤退!mixiを作った。

個人的な考えは ひとまずわきに置いといて、彼らの冥福のためにこころ穏やかに作った。
それが このフリーウェアが存在する最大の理由である。

---

 mixiの盛衰は、同じくインフラになりきれなかった NiftyServe(現@nifty)に似ている点が多い。
NiftyServeは 軟着陸におおむね成功したが、mixiは 今後どうなるだろうか。
せっかく はじめたことなのだから、次はぜひ「成功」のほうで 僕たちを学ばせてくれることを願いたいところだ。

2

2011/11/25・山崎はるか
(原典・2011/9/29)

※「mixi」は株式会社ミクシィの登録商標です。


(C)DIAMOND APRICOT TELECOMMUNICATIONS LABORATORY / since 1995
ホーム | お問い合せ